ゆきあかり lumière de la neige

忘れやすいけど忘れたくないことを書いています

2024/01/22(月)受診分(01/25受診)

2023/12/25(月)~2024/12/31(日)

12/28(木)

ようやく形成外科に行き、耳のケロイドを診て貰った。

入院して、全身麻酔で手術するらしい。

早めに治療しないからおおごとになるんだよ……っていうのは、虫歯と同じだなぁ、などと思った。

入院も全身麻酔も手術も嫌過ぎるし憂鬱なのだけど、腹を括るしかない。

12/30(土)

なにやらとても忙しい。精神状態は悪くないと思う。良くもないが、やる気はほどほどにある。外出なんかは億劫だ。あと、とても眠い。

2024/01/01(月)~ 2024/01/07(日)

01/02(火)

元旦はめちゃくちゃ眠くて、ろくに何もできなかった気がする。

ようやく年賀状を書いたけれど、出しに行くのはいつになるやら。

2024/01/08(月)~ 2024/01/14(日)

01/14(日)

息子の嫁のご両親と初顔合わせ。

同年代かと思いきや10歳も上だった。

気さくなお父さん。仕事に育児に妻の世話にと頑張ってきたんだろうな(会話から察するにお母さんは多分私と似た境遇)、と話を聞きながら思った。

支える側の苦労を思うと、ちょっとだけいたたまれない気もした。

やっぱり、母親という立場の人間が精神を病むのは大変な出来事だよ。

2024/01/15(月)~ 2024/01/21(日)

01/16(火)

予定通り、形成外科に入院した。

説明では結構大変な手術になりそう。不安だなぁ。

今夜から絶食。明日の夜までご飯が当たらない。

岩見沢市立の精神科は閉鎖も解放もなかなかハードな病棟だったが、ここは居心地いいなー。みんなカーテンを閉め切っていて、どんな人がいるのかすらわからないし、もちろん会話もしないし、プライバシーが守られてて、入院につきものの不眠もなくゆったり過ごせた。いつも家で聴いている音楽を聴きながら寝たせいもあるかも。

01/17(水)

手術日。息子も熱を出したばかりだし、娘には入院を付き添ってもらったので、特に誰かについていて欲しいと言うこともなく。

むしろ母が来たがって、断るのが大変だった。ぶっちゃけ来てくれれば助かることはある。あれこれ言えばやってくれるだろう。物質的に甘えることもできる。でも、それじゃあ駄目だと思うのね。

まぁ、母は母のままいつか死んでいくんだろうけど、私は生きてるうちに変わりたいから。

現実的に冬道を高齢者に運転して欲しくないっていうのもある。

ところで全身麻酔って凄いね……。

「薬入れますよ~」

「(あ、これは凄い……そっか、こんな感じなのね)」

次に目を開けた時には病室にいたわ。

そして、「麻酔がかかる瞬間のことを覚えておいて、いつかどこかに書こう」と思ったまま目覚めた自分に呆れた。

01/18(木)

退院予定だったのだけど、術後の傷の調子が悪く、入院を継続して高圧酸素療法をやることに。家に帰るつもりだったので、予定がいろいろ変わってしまうと思って焦った。
高圧酸素療法は手術よりもずっとずっと辛かった。信じられないくらい耳が痛い。

01/19(金)

この日も我慢して高圧酸素療法をした。耳の痛みは慣れたけど、終わってからもずっと聞こえ方がゴワゴワしていて、音楽も聴けない。

01/20(土)

高圧酸素療法3日目。この夜、遂に夜中に苦しくなってナースステーションに行った。

いつも限界まで耐えるのだけど、早めに行ったのは我ながら偉かったと思う。

精神安定剤のようなものはないか聞いたら調べてくれて、結果これしか無いのよって渡されたのがリスペリドン。経験上私にはあんまり効かないのでがっかりしたのだけど、それでも無いよりはいい。それに、久しぶりだからもしかしたら効くかもしれない。

飲んでひたすら手を合わせて神に祈った。神頼みである。

しばらく祈ってから、もう大丈夫だ、祈ったし、薬も飲んだ、大丈夫……と深呼吸しながら横になっていた。とにかく暗示をかけるしかない。

ずるずる引きずりこまれるような気持ちの悪い眠りだったけれど、なんとか寝ることができて、起きて思った。
もう無理だ、と。
そもそも私の精神で、毎日怖い目に遭ってこれまで無事だったんだから、凄く頑張ったよ。

01/21(日)

この日の担当看護師さんに、もう無理、と相談した。
日曜で、この日は高圧酸素療法が無かった。

高圧酸素療法の何が嫌って、圧力を抜くのに10分かかることだ。

何かあっても10分は密閉された狭い筒から出られない。

最初はそれでも大丈夫な気がした。のんきにテレビを観ていたら1時間半くらいすぐ終わる。

でも、ここでパニックになったらどうするの?

それでなくても調子悪いと苦しくてひとりで暴れたりするのに、どうしようもなくなったらどうなるの……。

そう思ったら、もうそれが確定のような気がした。

調子悪くなる未来しか見えない、もう駄目だ、私も苦しいし、まわりにも迷惑だし、他の治療法があるならそっちにしてもらおう。

2024/01/22(月)~ 2024/01/25(木)

01/22(月)

朝の回診で、看護師さんから話を聞いていた先生が、高圧酸素療法はやめましょう、と言ってくれた。

そして、傷の様子は良くなってきているから退院していいけど、処置のために少しの間通うように言われた。

誰にも相談しないうちに退院を決めてしまったので、誰かが迎えに来ることもなく、大量の荷物を背負って退院。家まで帰るのが大変だった。

……けど、家に着いたらチェーンがかかってて家に入れないの……。娘が、ひとりの夜が不安だからチェーンかけて寝てるって言っていて、防犯意識の高さを褒め称えたのだけど、まさか自分が閉め出されるとはね……。

それから娘が起きるまで電話鳴らしたりピンポンしたりを30分くらいしてようやく入れて貰えた。近所の人にも見られて散々だった。

01/23(火)

入院中、帰ったらやりたいことがいろいろあった。

その中の一つがやっぱり小説を書くことで、病院でもスマホでちまちま書いていた。

友達とのLINEのやりとりで、私はどうも性的なことに関してちょっと歪んでるな?って思ったりして、なんでかな~、という自問自答を小説に書いたりしていた。

人間関係で問題になるほどの歪みではないけど、修正できればもっと幸せになれるんじゃないかな。

01/24(水)

自分の小説サイトの名前はdésespoirという。フランス語で絶望という意味だ。

「それは雪のように降り積もる……」というトップ画面なんだけれど、ここだけの話「ここから始めよう、絶望から立ち上がって歩きだそう」って意味でつけた。

ここ数年でだいぶ前向きになったと思う。

時々調子が悪いのはもう仕方がないが、フラットな時に前向きでいられたらそれはやっぱり嬉しいな。

自分が定まらないから、刹那的にならざるを得ない……ってところがあったけど、今はゆっくり未来のことを考えているんだから、やっぱり変わったな。

推しとの対話はたぶん自分との対話だと思うんだけど、そういう意味では自分カウンセリングみたいなことになっているってたまに思う。